LTR通信
2026年01月21日 [LTR通信]
【LTR25周年スペシャルコラム】能登半島地震を越えて― 宮本水産、再び海へ ―

※こちらの記事は「LTR通信2026新春号」に掲載中です。
新型コロナウイルスの影響で長らく中断していたLTR合宿が、2025年10月3日〜4日に開催されました。6年ぶりの再開に大きな喜びを感じながら、合宿場所である石川県へ。
今回は、宮本税理士のご実家、七尾市の「宮本水産」も訪問。同社は牡蠣の養殖業を営んでおり、2024年1月の能登半島地震で被害を受けました。被災地を実際に歩く中で、「士業として何ができるのか」と考えた参加者一同。法務や税務の枠を超え、地域に寄り添う支援の在り方を考える貴重な時間となりました。
2025年10月3日、LTRのメンバーとともに、私の故郷である石川県七尾市を訪ねました。私の実家が経営する「宮本水産」は、私が生まれてから18歳で高校を卒業するまで生活した思い入れのある場所です。
宮本水産は、七尾湾で真がきや岩がきの養殖をしています。能登の海は潮の流れが穏やかで、ミネラル豊富な海水に恵まれているので、身の締まった濃厚な味わいの牡蠣が育ちます。震災前は港のすぐそばで食堂を営み、週末には県外からも多くの観光客が訪れ、列をなすほどの人気店でした。
私自身、子どもの頃から真冬に冷たい海水を扱う家業を手伝うことを通じて、一粒の牡蠣をお客さまに届けるまでの大変さを知り、商売の心得を学ぶという貴重な経験をしてきました。
しかし、2024年1月1日、能登半島地震が発生。強烈な揺れにより加工場と食堂はともに全壊判定。冷蔵設備や加工機械も壊滅し、長年積み重ねてきた事業の基盤が一瞬で失われたのです。私にとっても、家族の努力で築かれた「ふるさとの象徴」が崩れ落ちた瞬間でした。それでも、家族はすぐに動き出しました。まずは、がれきの撤去から始め、海に残された養殖いかだの修復、漁具や船の整備、そして出荷再開に向けた準備と、一歩一歩確実に進めてゆきます。壊れた道を何度も往復しながら、他県の支援者や取引先の方々の温かい協力も得て、再び海に戻る日を目指しました。
現在は、真がき・岩がきを全国の飲食店や牡蠣ファンに直接出荷する形で事業を再開しています。震災で途絶えた販路を家族の手で再構築し、SNSや口コミを通じて能登の味を届ける努力により、全国の料理人やお客さまから「やっぱり能登の牡蠣が一番」という言葉を頂くことが、何よりの励みになっています。
かつて多くの人で賑わった食堂も、プレハブ小屋を使って再開準備を進めています。簡素な建物ではありますが、厨房設備を少しずつ整え、「もう一度、能登の海の味をここで楽しんでもらいたい」という思いを胸に、再オープンの日を目指しています。LTRメンバーも現地でその様子を見学し、震災直後の絶望を乗り越え、家族が再び笑顔を取り戻しつつある姿に胸を熱くしました。
宮本水産が見せてくれたのは、「単に事業の再建のために働くのではない。地域の誇りをもう一度取り戻すのだ」という信念でした。
「牡蠣を通じて、能登の海の豊かさを伝えたい」
これは兄であり、宮本水産社長・宮本 哲也の言葉です。漁師のメッセージを超え、能登という地域全体の希望を象徴しているように感じます。
一粒の牡蠣には、海の恵みと人の思いが凝縮されています。その一粒が、もう一度多くの人の笑顔とつながりを生み出す日を信じて――厳しくも豊かで、人を試し、育てる能登の海とともに、宮本水産の挑戦は今日も続きます。
能登半島地震から1年9ヶ月。私たちLTRメンバーが港に降り立つと、澄んだ海風の奥にまだどこか緊張を残す静けさがありました。あちこちにブルーシートがかかる街、ひび割れた道路、倒壊した建物。今も震災の爪痕が至るところに残っています。被災地の現実は依然として厳しく、道路や港湾の復旧、観光需要の回復には時間がかかるでしょう。
しかし、被災地で働く人々には、「前を向いて生きよう」という強い決意と未来を切り拓く力強さがあります。復興の息吹を感じた現場で、私たちも士業として、地域の一員として、復興を支えたいと改めて心に誓いました。
(税理士 宮本 泰三)
新型コロナウイルスの影響で長らく中断していたLTR合宿が、2025年10月3日〜4日に開催されました。6年ぶりの再開に大きな喜びを感じながら、合宿場所である石川県へ。
今回は、宮本税理士のご実家、七尾市の「宮本水産」も訪問。同社は牡蠣の養殖業を営んでおり、2024年1月の能登半島地震で被害を受けました。被災地を実際に歩く中で、「士業として何ができるのか」と考えた参加者一同。法務や税務の枠を超え、地域に寄り添う支援の在り方を考える貴重な時間となりました。
LTRメンバーと故郷・能登へ
2025年10月3日、LTRのメンバーとともに、私の故郷である石川県七尾市を訪ねました。私の実家が経営する「宮本水産」は、私が生まれてから18歳で高校を卒業するまで生活した思い入れのある場所です。
宮本水産は、七尾湾で真がきや岩がきの養殖をしています。能登の海は潮の流れが穏やかで、ミネラル豊富な海水に恵まれているので、身の締まった濃厚な味わいの牡蠣が育ちます。震災前は港のすぐそばで食堂を営み、週末には県外からも多くの観光客が訪れ、列をなすほどの人気店でした。
私自身、子どもの頃から真冬に冷たい海水を扱う家業を手伝うことを通じて、一粒の牡蠣をお客さまに届けるまでの大変さを知り、商売の心得を学ぶという貴重な経験をしてきました。
「やっぱり能登の牡蠣が一番」が大きな力に!
現在は、真がき・岩がきを全国の飲食店や牡蠣ファンに直接出荷する形で事業を再開しています。震災で途絶えた販路を家族の手で再構築し、SNSや口コミを通じて能登の味を届ける努力により、全国の料理人やお客さまから「やっぱり能登の牡蠣が一番」という言葉を頂くことが、何よりの励みになっています。
かつて多くの人で賑わった食堂も、プレハブ小屋を使って再開準備を進めています。簡素な建物ではありますが、厨房設備を少しずつ整え、「もう一度、能登の海の味をここで楽しんでもらいたい」という思いを胸に、再オープンの日を目指しています。LTRメンバーも現地でその様子を見学し、震災直後の絶望を乗り越え、家族が再び笑顔を取り戻しつつある姿に胸を熱くしました。
能登の海を前に 人として士業として想うこと
「牡蠣を通じて、能登の海の豊かさを伝えたい」
これは兄であり、宮本水産社長・宮本 哲也の言葉です。漁師のメッセージを超え、能登という地域全体の希望を象徴しているように感じます。
一粒の牡蠣には、海の恵みと人の思いが凝縮されています。その一粒が、もう一度多くの人の笑顔とつながりを生み出す日を信じて――厳しくも豊かで、人を試し、育てる能登の海とともに、宮本水産の挑戦は今日も続きます。
能登半島地震から1年9ヶ月。私たちLTRメンバーが港に降り立つと、澄んだ海風の奥にまだどこか緊張を残す静けさがありました。あちこちにブルーシートがかかる街、ひび割れた道路、倒壊した建物。今も震災の爪痕が至るところに残っています。被災地の現実は依然として厳しく、道路や港湾の復旧、観光需要の回復には時間がかかるでしょう。
しかし、被災地で働く人々には、「前を向いて生きよう」という強い決意と未来を切り拓く力強さがあります。復興の息吹を感じた現場で、私たちも士業として、地域の一員として、復興を支えたいと改めて心に誓いました。
(税理士 宮本 泰三)

